• 2017年11月3日

    風炉先屏風は茶会や茶事に使われる2つ折りの小型の屏風です。その屏風に絵画や書を直接書(描)くのではなく、すでに書(描)かれた複数の絵画や書の作品を体裁よく貼ってつくられた風炉先屏風を貼(張)り混ぜ風炉先屏風と言います。画像の風炉先屏風は左右173cm、高さ55cmの金屏風。ここに、下記の5枚の絵画と書がバランスよく貼ってあります。

    店内茶室「青峰庵」に展示された貼(張)り混ぜ風炉先屏風

    書画は向かって右から順に―
    ①小島宗真筆の歌切
    この歌切は小島宗真が『古今和歌集 巻第一春歌上』のトップ「ふるとしに春たちける…」を書写したもの。
    宗真は江戸時代初期の書家で、本阿弥光悦に師事し、角倉素庵とともに門下双璧と称されました。古筆蒐集家としても知られています。
    ②久隅守景筆「瓜図」
    久隅守景は江戸時代前期の狩野派の絵師。狩野探幽の弟子で探幽門下四天王の筆頭と目されましたが、のちに破門されて放浪の旅に出たと伝えられます。代表作に国宝の「夕顔棚納涼図屏風」があります。
    ③飯尾常房(1422-1485)筆歌集切
    飯尾常房は室町時代の書家で、室町幕府の書史となり、将軍足利義政の右筆をつとめました。青蓮院流の書をおさめ、飯尾流を創始。歌を能くしました。
    ④海北友松筆「枯木寒鴉図」
    海北友松(1533-1615)は桃山時代の画家、海北派の祖。初め狩野派に学んだ。宋元水墨画に傾倒、独自の気迫と情感に富む画風を完成させました。この枯木寒鴉図はもとは屏風絵あるいは襖絵の一部であったことが想定されますが、この図を見ると、極寒の冬を生き抜く寒鴉の姿に友松の気迫や情感が乗り移って、哀れみの一方で親しみさえ感じさせるのはどうしてでしょうか。
    ⑤三井高方(宗億)筆の消息
    三井高方は豪商三井家家祖三井高利の三男高治を初代とする新町家の2代目で、高治の長男に当たります。この消息はお茶に関する内容が書かれているようですが、まだ読み下せていません。文字の崩し方がかなり個性的で癖のある文字が多く、読み下しにはかなり苦労することになりそうです。

    久隅守景筆「瓜図」

     

    飯尾常房筆 歌集切

     

    海北友松筆「枯木寒鴉図」

     

  • 2017年10月17日

    この兵士俑は副葬品で、埋葬者の身を護る役割を持つ。中国・新疆ウイグル自治区トゥルファン地方の古墳からの出土。制作時期8世紀。像高27.4cm。

    西本願寺第22世宗主大谷光瑞(1876-1948)率いる西域探検隊(大谷探検隊)が日本に持ち帰った多数の西域美術品の1つ。その多くは現在、東京国立博物館、龍谷大学、韓国の国立中央博物館、中国の旅順美術館・北京両博物館、日本の民間コレクションなどに分蔵されている。

    この兵士俑は某民間コレクションから古美術桃青が購入し、新たに古木で台座部分をつくり、像を取り付けたもの。これと同手の兵士俑を出光美術館・根津美術館も所蔵している。

    右腕、兜の先端、足先などが欠損しているが、彩色が残っており、全体としての保存状態はよい。これは、トゥルファン地方が極度に乾燥した気候の土地であることによる。足先が欠損しているが、そのおかげで木芯が見え、制作技法が確認できる。胴と脚部の茶色の輪は、兵士俑を立たせるための取り付け金具。また像の表面が毛羽立って見えるのは、俑づくりの際、粘土に繊維を混ぜてつくった塑土が使われたため。

    資料画像の出典:至文堂『日本の美術No.434 大谷光瑞と西域美術』p.64 上は出光美術館、下は根津美術館所蔵のもの。